インターネットで読む太宰治の煽りテクニック

志賀直哉の短編「小僧の神様」が突然脈絡もなく読みたくなってしまい本棚から溢れ出た文庫本のタワーを捜索するのも面倒なので青空文庫で検索してみた。
しかしヒットしたのは太宰治志賀直哉をボロクソに煽ってる随筆の中にあるキーワードに反応したもので、小僧の神様のほうは結局文庫本タワーを崩して見つけ出した。

しかしさすがは太宰。人の煽り方ひとつとってもエネルギッシュでパワーがある。これを原稿用紙に万年筆かそれに近いものでバババッと書いたと思うとすごいですね。まさか自分の死後半世紀以上も経った後でソニーTFT液晶モニタに映し出されるOsakaフォントで読まれるとは思ってもみなかっただろうけど。

さて、21世紀を生きる我々はインターネットを通じて掲示板等で他人とコミュニケーションを取っているとどうしても言い争いになることがある。(例えば加護ちゃん辻ちゃんとではどっちがかわいいかとか安倍麻美のニックネームはどうするかとか)
私が見てきた中でこのような主観が入る議論で生産的な意見が出ることは希であり、ほとんど最後は「相手の書き込みに難癖を付ける」状態になってしまう。その頃になると加護ちゃん辻ちゃんのどっちがかわいいかなどという議題はどうでもよくなり(どっちもかわいい)いかにして相手を言い負かすかがポイントになる。
そんな時に備えて太宰を読み煽りテクニックを磨こう。
例えば太宰が志賀直哉に対して煽り始めるくだりにはこう書かれている。

 どだい、この作家などは、思索が粗雑だし、教養はなし、ただ乱暴なだけで、
そうして己れひとり得意でたまらず、文壇の片隅にいて、一部の物好きのひとから
愛されるくらいが関の山であるのに、いつの間にやら、ひさしを借りて、図々しく
も母屋に乗り込み、何やら巨匠のような構えをつくって来たのだから失笑せざるを
得ない。

太宰治 如是我聞