カレーハウス COCO壱番屋にて

風邪を治すために早寝したのに2時間しか眠れなくてその結果暖房も付けず鬱々と座っているだけでは元の木阿弥なので人生で初めてカレーハウス COCO壱番屋へ行ってみる。確か最近オープンしたてで宅配弁当のチラシがポストに入っていたがよくよく見てみるとうちは宅配可能地区から外れていた。ポスティングも満足にできないアルバイトを雇うなんて日本一のカレーチェーンが聞いて呆れる。
やや緊張しつつ店に入ると20代女性のおそらくアルバイト店員と40代男性のおそらく店長が出迎えてくれた。客の姿はない。カレーを食いながら中澤さんの本を読もうと思っていたが客が私1人だと20代女子に「元モームスよ元モームス!あの男本読みながら泣いてる!キモイ!バカみたい!店長見ました?」などと陰口を叩かれ40代男子に「こらこらお客さんに聞こえるだろ。うわっ!本当かよ!泣いたと思ったら手帳になんかメモしてるし!同じ男として情けない!」などと同情される可能性が高くなるので持ち帰ることにした。
3分ほど悩む。具のバリエーションがやたら多いためだ。こんな時にレストランでなかなかメニューを決められないという紺野あさ美さんが隣にいれば相対的に私のメニュー選択は速く見えるし、私は余った時間でなかなかメニューを決められず焦っている紺野あさ美さんを自然にフォローできる上に食事をする紺野あさ美さんを間近で観察するのはとても楽しそうというまさにいいことだらけのシチュエーションなのになぜか私は1人で2人のカレー屋と重い空気を共有している。人生とはなかなかうまく事が運ばないものらしい。
「ほうれん草カレー弁当(大盛)にツナトッピング」に決めた。店長は「ほうれん草は今切らしちゃってるんですよ」と言った。人が散々迷って人生まで想いを馳せた上での結論を一言で却下するなんて日本一のカレーチェーンが聞いて呆れる。とっさに山菜カレーに変更したが大きな敗北感を感じた。
待ち時間ができたので厨房を観察する。これだけのメニューの多さではそう簡単に鍋を増やせないだろう。カツや納豆など上に乗せる具は分かるがビーフカレーやエビにこみカレーなどはメニューの写真で見る限りルーから別に作っていると思われる。その辺がどうなっているのか興味があり、また実際自分が口に入れるものは可能な限り「出来上がり」までその過程を知りたい。結果、眼鏡を忘れたのと場所の関係で何も分からなかった。唯一観察できたのは店長が作業の途中でシンクの水道水をコップで飲む姿だけだった。一日の労働の終盤に飲む水道水はうまいだろうなと思った。できれば私もあの水を飲んでみたい。
「山菜カレー弁当(大盛)にツナトッピング」を受け取り家に帰る。車なので運転には気を遣った。これまでコンビニで汁物の弁当を買い車で運ぶと十中八九は汁がこぼれたからだ。しかしカレーハウス COCO壱番屋のカレー弁当はさすがカレーチェーン日本一を自称するだけあって容器にこぼれないよう工夫がされていた。容器と蓋の密着度が高い上にルーの容器(蓋付き)をご飯の容器に収めるという二重構造である。これなら振り回しでもしないとルーはこぼれないだろう。私はこのこぼれない容器の背景にある様々な人間の葛藤と努力と執念と情熱を感じ涙を流さずにはいられなかった。もちろんこれは冗談だ。容器と蓋の密着度が高いので開けにくいという言い方もある。客が食べるために買ったカレーをわざわざ食べにくくするなんて日本一のカレーチェーンが聞いて呆れる。
食う。トッピングのツナは缶詰から開けてすぐ詰めたような代物だったのでこれならば家にある缶詰を開けたほうがよかったのかもしれない。山菜の具はぜんまいらしきものが見えたがはたして本当にぜんまいなのか分からない。他にも何種類か山菜が入っていたが自分に山菜の知識がないため何が何だか分からない。次の誕生日までに山菜博士になろうと決めた。ルーはいわゆるサラサラ系。辛さは「普通」を選んだものの私の好みからすると一皿でキリンレモン350ml缶を開けてしまうぐらい辛かった。そもそも星の数ほどいる人間の好みを乱暴に「普通」で一括りにするなんておかしな話だ。「普通」と書いてあればほとんどの人間は自分のカレーの好みから導き出した「普通」を想像するだろう。もっと明確な辛さの絶対値を表示すべきである。
日本一のカレーチェーンが聞いて呆れると散々書いてきたがこれはただ単にレジ前に並べてあったCOCO壱番屋の本を見て思いついたフレーズなので本心ではない。ただ暇だったので長文を書いてみた。ついでにこの文章を掲載後10回ほどリンクを踏んでリファラを飛ばすつもりなので辛さの表示がいつか変わっていたらステキだと思う。